【本】『海辺のカフカ』村上春樹の世界を堪能できるメタファーに満ちた物語

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みなさんは、昔はイマイチだったけど改めて読み返したら好きになった作品はありますか?

私にとっては、村上春樹の代表作のひとつ『海辺のカフカ』がそうです。

最初に読んだ時、若かった私はクールな田村カフカ少年に感情移入ができませんでした。

しかし今読み返すと、個々の登場人物の微細な所作は気にならず、作品全体が発するメッセージを読み取ることに夢中になりました。

この作品の重要なキーワードは「メタファー」。

20年以上前の作品ですが、現在でも全然古びない普遍性を持った作品だと思います。

登場人物

田村カフカ

幼い時に母親と姉が家を出て行き、父親と二人暮らしをしてきた。

自分は母親に捨てられたと思い、心に傷を負っている。

15歳の誕生日に家を出ることに決める。

大島

高松市の甲村記念図書館で働く職員。

血友病患者で性的少数者の21歳。

生活面、心理面でカフカをサポートしてくれる。

佐伯

甲村記念図書館の館長。

50歳過ぎの謎の多い女性。

人当たりは良いが、人を寄せ付けない雰囲気がある。

さくら

カフカが高松行きの夜行バスで出会った21歳の女性。

高松に着いてからも、何度かカフカを助けてくれる。

ナカタ

もうひとりの主人公。

中野区に住む知的障害のある60歳代の男性。

小学生のときに「お椀山事件」に遭遇し、今までの記憶をなくす。

猫と話せる。

星野

長距離トラックの運転手。

四国を目指すナカタをトラックに乗せたのをきっかけに、ナカタと行動を共にする。

文字の読み書きができないナカタにとってよきパートナー。

あらすじ

15歳の誕生日を迎えた田村カフカは家出をして深夜バスで四国に向かう。

一方、知的障害のある老人、ナカタさんも星野青年とともに運命に導かれるように四国へと向かっていく。

それぞれが試練を乗り越えて旅を続けるうちに、今まで交わることのなかった二人の足取りが少しずつ重なっていく。

みどころ 

村上春樹ワールドを堪能できる

『海辺のカフカ』は村上作品の中でも人気のある作品のひとつ。

並行して進行するふたつの物語。

独創的な比喩を用いた文章。

過去の文学や音楽からの引用。

不条理な暴力、図書館、影など、他の村上作品でも登場するキーワードがたくさん登場。

読みやすい文章の一方で、いかようにも解釈できるストーリー。

まさに村上ワールド全開。

また、内容以外でもイスラエルの文学賞を受賞したことでも注目を集めたこの作品。

村上春樹未経験の方はこの作品を足がかりにしてもよいと思われる、村上春樹の魅力がたくさんつまった作品です。

このひと言

「世界の万物はメタファーだ」

引用:村上春樹. 海辺のカフカ(上)(新潮文庫)

この作品の核となるであろうこの言葉は、大島さんがカフカ少年に対して言ったセリフです。

そのように考えると、作中に登場するジョニー・ウォーカー、ナカタさんが肌身離さず持っている傘、お椀山の出来事、田村少年がたどり着いた小さな町など、さまざまな物が何かしらのメタファーのように感じます。

読者にとっても物語の解像度を上げてくれる、重要なひとことです。

感想

この本を最初に読んだのは20年ほど前。

当時は「いくらなんでもこんな精神年齢の高い中学生はいないだろ」という思いが先立ち、物語に入り込めませんでした。

若かった私は、15歳とは思えない豊富な知識と力強い肉体をもつカフカ少年に対する嫉妬に近い感情があったのだと思います。

今回は私も歳を重ねたせいか、その辺はひっかかることなく読めました。

大島さんが言うように「世界の万物はメタファー」なのだから、きっとカフカ少年が現実的な存在かどうかは重要ではないのでしょう。

作中に登場する星野青年の一人称が「おれっち」なのが気になった程度です。


今回読み返して興味をそそられたのは、カフカ少年が訪れた「町」の存在です。

物語の後半、カフカ少年が森の中にいる二人の兵隊に案内されてたどり着いた小さな「町」。

この「町」は、2023年に発表された村上春樹作品の『街と不確かな壁』の「街」を彷彿とさせます。

「町」と「街」は、時間の概念を超越した静謐な雰囲気が共通してみられます。

一方「町」は『よそ』とのやりとりもあるということなので、「街」より閉鎖的な環境ではないようです。

もしかしたら「町」は、『街とその不確かな壁』に登場するような「街」に行く準備をするために一時的に滞在する場所なのかもしれません。

カフカ少年は「町」の時点で現実世界に戻る覚悟を決めたけれど、ナカタさんと佐伯さんはその後「街」に行って影を置いてきた、という可能性も考えられます。

おそらく、悲しみや苦しみから解放されることを願って。

しかしそれと引き換えに、二人は生きる喜びも手放すことになってしまいました。

二人は現実世界でも「街」のような、ノイズの少ない空間を自分のまわりに作り、その世界から出ることなく完結した生活を送っていたのだと思います。

そしていつも心の半分は「街」の中で平穏に暮らしていた。

しかし、それは正しいことではありません。

悲しみや苦しみのない世界は存在しないし、現実の世界では現実の血が流れていることを忘れてはいけない。

カフカ少年の登場によって、結果的に二人はその報いを受けることになったのかもしれません。

私自身、ちょっと現実に疲れたりすると「村上春樹的世界観の『街』に行って、何も考えずに平穏に暮らしたい」などと考えてしまいますが、きっとそれは幸せとは程遠い形なのでしょう。

私にとっては、現実を忘れて没頭できる読書の時間が『街』の疑似体験のように感じます。

これなら必ず戻ってくることができますからね。


いずれにしろ、久しぶりに読んだ『海辺のカフカ』は私の想像力を存分に刺激し、立て続けに2回読んでしまいました。

昔は苦手だったものも、年齢を重ねると見え方・感じ方が変わるものなのですね。

食べ物と一緒だ。

村上作品では『ノルウェイの森』も苦手な記憶があるのですが、そろそろ再チャレンジしてみようかな、と思いました。

ではでは。

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