【映画】PERFECT DAYS|主人公の平山さんは村上春樹の影響を受けている?

映画

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PERFECT DAYS

独身の壮年男、平山の日常を延々と描いた映画の『PERFECT DAYS』。

以前Podcastの番組で「平山さんの生活が最高すぎる」と盛り上がっていたので気になっていました。

しかし、存在を知った時には時すでに遅しで劇場公開は終了。

ずっと各種のサブスクサービスやTSUTAYAでDVDを探していたのですが、全く見つからず。

すっかり諦めていたら、しれっとAmazonプライムビデオで配信開始されていたので視聴しました。

平山さんの生活が完璧

東京の公共トイレ掃除をしている年齢不詳の壮年男、平山さん。

古びたアパートで朝のルーチンをこなして出勤。

複数の公共トイレをまわって、手早く丁寧に掃除を行う。

昼は神社のベンチで簡単な昼食を食べて、木々の写真を撮る。

日が沈む前には仕事をあがって銭湯で一番風呂。

夜はいつもの居酒屋でサクッと飲んで、帰宅後は布団の中で文庫本を読んで就寝。

判で押したように毎日がこの繰り返し。

出勤前には空を見上げて微笑み、車の中ではカセットテープで古い音楽を聴いてご機嫌になり、仕事に誇りを持ち、草木を愛でる。

ほとんどだれとも口をきかず、わずらわしい人間関係もない。

まさにパーフェクトデイズ。

平山さんの生活に憧れる人は多いようで、ネットのコメント欄には「平山さんは本当の豊かさを知っている」「自分もこのような生活をしてみたい」などの言葉が並びます。

何を隠そう、私もそのひとり。

1960〜70年代の音楽。

単独行動。

銭湯。

ひとり飲み。

寝る前の読書。

全部私の大好物。

許されるなら私も平山さんのような生活を送ってみたい。

金持ちになるのは無理だけど、平山さんの生活なら真似できるのではないか、と思ってしまうのです。

平山さんについて考えてみる

ここで少し、平山さんについて想像を膨らませてみたいと思います。

まずは年齢ですが、直感的に50歳代半ばぐらいだと思いました。

トイレ掃除というなかなかの重労働、そして10代の姪がいることを考えるとそのぐらいかな、と。

役所広司さんが演じているので70歳前後にも見えますが、私は以上の理由から高く見積もっても60歳程ではないかと想像します。


次に彼の妹との会話からバックグラウンドを妄想してみます。

元々は金持ちの家の生まれで、私立の進学校へ進学。

順風満帆な人生を送っていましたが、あるタイミングで父親と衝突して喧嘩別れします。

たとえば「自分の夢を否定された」「付き合っている女性との結婚を反対された」などです。

そして金持ちの父親に反抗するかのように質素な生活を送るようになった、といったところでしょうか。


気になるのが平山さんの音楽の趣味です。

先ほど想像したように、仮に平山さんが50歳〜60歳代だとしたら、音楽の趣味の年代が微妙にずれている気がします。

平山が劇中で聴いている音楽は主に1960年代〜70年代のもの。

これらの音楽の直撃世代はおそらく現在の70歳代だと思われます。


ここでいきなり暴論。

平山さんは若い時に村上春樹の影響を受けたのではないか。

孤独で規則正しい生活。

趣味の音楽と読書。

自己完結した世界。

これはまさに初期の村上春樹の小説に登場する主人公のような暮らしぶり。

裕福な家庭で生まれ育ったのに、逆行するように敢えて質素に暮らす様子は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』に登場する鼠の「金持ちなんて・みんな・糞くらえ」のセリフを彷彿とさせます。

村上春樹のデビューは1979年。

仮に平山さんが60歳(映画公開時の2023年)だとしたら、当時は16歳。

めちゃくちゃ村上春樹の影響を受けそうな年齢ではないでしょうか!

実際私も18歳で村上春樹の小説に出会い、音楽やライフスタイルにモロに影響を受けました。

村上春樹の主人公(初期)がそのまま大人になってしまったのが平山さん。

私はそのような印象を受けたのです。

完璧だけどそれで良いのか

平山さんのことを一生懸命考えていると、確かに彼の生活はパーフェクトかもしれないけど、そもそも本当にこれで良いのか、という疑問が出てきました。

ひっかかるのが、平山さんが昔の音楽と本にしか興味をもっていないということ。

少なくとも劇中では、現代の音楽や本を嗜んでいる様子は描かれていません。

いきつけの居酒屋でも同年代の客とママが歌う、歌謡曲にしんみりと酔いしれる。

平山さんが住む木造アパート(風呂なし)の部屋にはパソコンはおろかテレビもなし。

娯楽は文庫本とカセットテープとラジカセぐらい。

まるで昭和の大学生みたいな生活です。

その生活ぶりは高度資本主義社会を拒否しているとも言えますが、視点を変えるとずっと過去の世界に閉じこもっているようにも感じるのです。

先述した居酒屋のシーンでは、ママも常連客も過ぎ去った青春時代に囚われてる気がして、いささか居心地の悪い気分になりました。

つまり、平山さんは現実から目を背けて生きているようにも私は感じるのです。

そんな生き方をしていると、いつかきっと大きな綻びが生じます。

作中でも小さな綻び(同僚の退職や姪の登場)が何度か発生しています。

そのたびに平山さんは修正を試みて、実際にそれは成功します。

そして、表面上は普段の日常が戻ってきたように見えます。

だけど全く元通りに戻ることはありません。

テトリスでミスをした時のように、表面上はうまく取り繕うことができても、穴だらけのブロックは確実に下の方で積み重なっているのです。

未来も綻びの可能性はどこにでも潜んでいます。

今後綻びの頻度は増え、どんどん大きくなっていくでしょう。

愛用しているカセットデッキが故障するかもしれない、行きつけの銭湯や居酒屋が閉店してしまうかもしれない、大きな病気が見つかるかもしれない‥

平山さんはその可能性を、徹底的に見ないようにしているように感じます。

(もっとも、平山さんの場合は本当に行き詰まったらきっと金持ちの妹がなんとかしてくれそうですが‥)


ついつい穿った見方になってしまいましたが、それでもやはり平山さんの生活は憧れます。

特に日常の小さな幸せを集めて生活する姿は「幸ってなんだろう」と常に考えている私たちに、ひとつの答えを与えてくれます。

この映画のキャッチコピーは『こんなふうに生きていけたなら』。

そうだよなぁ。

本当にそうだよ。

だけど実際は‥やっぱり難しいよなぁ。

だって金持ちの妹、いないし。

ではでは。

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