今までの人生で一番好きな時期はいつだったかを考えると、私の場合は間違いなく「夏休み」。
それも、無邪気に遊びに明け暮れていた小学校時代ではなく、未来への焦燥感と根拠のない自信がないまぜになっていた大学時代の夏休み。
常に移動する砂の街で暮らす人々を描いた町田羊による短編漫画『砂の都』は、不思議とそんな夏休みの記憶をほんのりと思い起こさせる作品です。
主人公が住む街は砂の都。
砂の街と言えば小説『砂の女』を思い出しますが、この作品ではそのような閉塞感はなく、人々は私たちと大きく変わらない生活をしています。
違うのは、街自体が砂漠の中を常に移動していること。
そして、街には人の記憶の中にある建物が建ち、空き家になると崩れ落ちるということ。
私はこの作品からノスタルジックな空気を感じます。
それは、街の住民たちの生活が少し昔の日本を思い起こさせるから。
携帯電話やインターネットではなく、テレビを観たりラジオを聴いて過ごす人たち。
アイスを食べながら外を歩いたり、夕涼みでビールを飲んだり。
今よりゆっくりと時間が流れている気がします。
おそらくこの街は、定住するのではなく一時的に移り住む止まり木のような場所。
人々はそこで自分の記憶と向き合い、他人と適度な距離で交流してのんびりと過ごしています。
しかしそこはあくまで砂の街、虚構の街です。
いつまでも留まることはできません。
いつかは崩れ去るのを知りながら、人々は砂漠の真ん中のオアシスのような場所で束の間の日常を楽しんでいます。
そう、それはまるで大学生の夏休み。
私にとってはもうだいぶ昔の記憶ですが、この漫画を読むとその時の空気感がよみがえってくる気がします。
物語には学校も学生も登場しないのに、不思議といえば不思議です。
読後は自分の過去の映像が無声映画のように頭の中で再生され、しばし思い出に浸ります。
今まで得てきたもの。
そして失ってきたもの。
長い間会っていない友人のこと。
当時夢中になった音楽や本のこと。
とりとめもないことを考えながら「ろくでもない世界だけどもう少し頑張るか」と少しだけ元気になれます。
読んだ後の余白までじんわりと楽しめる。
他では味わえない読後体験ができる作品。
漠然とした不安を抱えた夜に読むのがおすすめです。
ではでは。
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