【本】『移動時間が好きだ』|「ぼーっとする」が許される幸福な時間

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「すごくわかる」

と思わず手に取りました。

私も移動時間が好きなのです。

ちょっと遠出する用事ができた時は「移動時間はなにをしようかな」とわくわくします。

車の遠出も悪くはないけれど、やはり私も作者と同じようにバスや電車の移動が好き。

それも人が少なくて、ガラガラであればあるほどよい。

わびしい感じが好きなのです。

目的地にはなるべくゆっくり着いてほしいとさえ思います。

作者の言うように、バスや電車は移動を完全に委ねることができて、いくらでもぼーっとできるからです。

本を読んだり、音楽を聴いたり。

人間観察をするのも面白いです。


先日、なかなか面白い光景を見ることができました。

それは22時台の少し遅い時間帯。

各駅停車の電車の中のできごと。

週末のせいか車内はやや混雑しており、立っている人もちらほらいます。

その中に、60歳台後半と思われる初老の男性がいました。

白髪で小柄。

スラックスにシャツという格好で、比較的きちんとした身なりをしています。

男性は目を瞑り、手すりにつかまり立っています。

何かに耐えるように。

うつむいて、じっとしています。

一方、少し離れた反対側のドアには、5〜6人の元気な男の子たちの集団。

格好から推察するに、おそらく高校球児。

制服姿でまっくろに日焼けをしています。

高校野球の地方大会で、その移動中といったところでしょうか。

車内の迷惑にはならない程度に、わちゃわちゃとはしゃいでいます。

さらに少し離れた席には、3人の若い女性が座っています。

こちらは女子大生でしょうか。

地元の友達と遊びに出かけた帰り道、という雰囲気です。

まだまだ話足りないのか、楽しそうにおしゃべりをしています。

よくある電車の中の風景です。

私はそのひとまとまりの集団を、さらに離れた場所から、見るともなしにぼーっと眺めていました。

均衡が崩れたのは、とある駅に停車したとき。

乗客が降りて、初老男性の近くの席がひとつ空きました。

すると、高校球児のひとり(なかなかイケメン)がその席にさっと座ったのです。

この高校球児くんは「他の仲間を出し抜いてやったぜ」的な感じで、ちょっとふざけた様子でした。

しかし、初老男性の存在に気がついた高校球児くん。

すぐさまに席を立って声をかけています。

ジェスチャーから察するに「どうぞ座ってください」と言っているようです。

すると笑顔をつくりながらも、胸の前で手を振る初老男性。

どうやら「私は大丈夫です」と断られてしまった様子。

しかし、高校球児くんも一度立ち上がった手前、簡単に引き下がるわけにはいきません。

さらに大きなジェスチャーで「座ってください」とやっています。

だけど、やっぱり断る初老男性。

逆に高校球児くんに「どうぞどうぞ」と席を勧めています。

車内には和やかな空気が流れ、高校球児くんの仲間や女子大生たちも、そのやりとりをみて笑っています。

私は「最終的に初老男性が大人の対応で、しぶしぶ高校球児くんの提案を受け入れるのだろうな」などと考えながら、やりとりを眺めていました。

しかし、初老男性は思った以上に頑なでした。

いくら高校球児くんが席を勧めても全く座ろうとしません。

「どうぞどうぞ」

「いやいやいや」

このやりとりを5〜6回繰り返すうちに、車内にもだんだんと気まずい空気が流れ始めます。

男子高校生が立った席は、そこそこ混雑している車内でぽつんと悪目立ちしています。

こうなってしまったら、もう誰も座ることができません。

私もなんとなく見ていられなくなり、窓の外に視線を向けます。

‥数分後、ふとまた視線を高校球児くんのほうに戻しました。

すると予想だにしていなかった展開が眼に飛び込んできたのです。

なんと、高校球児くんが女子大生のグループの横にちゃっかり座って、楽しそうに談笑しているではないですか。

「なんでそうなった??」という感じです。

推察するに、先ほどのやりとりを見て好感をもった女子大生たちが、自分たちの隣の席が空いたタイミングで「ちょっと君、ここに座りなよ」といった具合で誘ったのではないでしょうか。

興味を惹かれたので、耳をそばだてて女子大生と高校球児くんの会話を聞いてみました。

しっかりと聞き取れていないので補正している部分はありますが、おおよそ次のような会話をしていたと思われます。


女子大生「‥わたしたち何歳だと思います?」

高校球児「自分、女の人の年齢とかわからないんっすよね。〜歳ですか?」

女子大生「えー、私たち老けてみえるんだ」

高校球児「(慌てた様子で)違う、違うんすよ!すごく大人にみえて」

女子大生「(3人で)きゃははは!」

高校球児「ちなみに、この電車に乗っていたらディズニーランドに行けます?」

女子大生「ディズニーは全然方向がちがうよ。(3人で)きゃははは!」

高校球児「そうなんっすか!自分、他の県から来たから全然わからなくて」

女子大生「どこから来たの?」


‥というような会話が延々と繰り返され、いい感じになっています。

初老男性は相変わらず立ったまま黙ってうつむき、空席はいつの間にか埋まっています。

おそらく、事情を知らない誰かが座ったのでしょう。

今まさに新しい物語が始まったのを目の当たりにした気分です。

私は途中で電車を降りたので、その後どうなったのかはわかりません。

高校球児くんは部活帰り。

そのまま遊びにいくことはないでしょうが、もしかしたら女子大生たちと連絡先くらいは交換したのかもしれません。

残りの時間、電車に揺られながらあれこれと勝手に想像してしまいました。


<<<ここから妄想>>>

密かに高校球児くんのことが気になっていた女子大生。

名前は結衣。

今年の春に大学生になったばかり。

高3ではそれなりに受験勉強を頑張って、念願の志望校に受かることができた。

「今年は去年我慢してできなかったことを色々やってやろう!」

と意気込んでいたけれど、最近はちょっと空回りしている感じ。

この前は、高校時代の友達である葵と陽奈で買い物に行って、色々グチを聞いてもらったところだ。

その帰りの電車の中で、見かけた男子高校生。

たぶん野球部。

真っ黒に日焼けした肌で無邪気に仲間たちと笑い合う。

ほんの数ヶ月前まで自分も同じ立場だったのに、つい「若いなぁ」なんて思ってしまう。

おじいさん(と言うほど歳をとっていないように見えたけど)に勇気をだして席をゆずったのに断られて、困ったような、はにかんだ笑顔が可愛かった。

「そこの君、ここの席が空いてるから座りなよ」

その言葉は、自分でもびっくりするぐらい自然に口からでた。

葵と陽奈の、一瞬息を呑む様子が後頭部あたりから伝わってくる。

でも、いいのだ。

19歳の夏なのだ。

自分から行動しないと、何も変わらない。

少年が「駅、ここなんで」と言った時も、自然な流れでLINEの連絡先を交換することができた。

何かが、はじまろうとしていた。


そして結衣は、葵と陽奈には内緒で高校球児くんとLINEでやりとりをはじめます。

「こんにちは🙂」

『こんにちは!』

「この前電車で一緒になった者だけど覚えてる?」

『者って。(笑)もちろん覚えてます』

「急にごめんね」

『大丈夫です!暇なので』

「いきなりだけど、自己紹介してもいい?」

『どうぞ(笑)』

「名前は結衣、大学1年生、犬派」

『いっこ上なんですね』

「この前は、もうちょっと上に見られたけど😏」

『すみませんでした‥』

「てことは、君は高3だ!」

『自分もいいですか?』

『自己紹介』

「どうぞ😊」

『名前は翔太、高3、めっちゃ犬派!』

「😳‼️」

「ウチのわんこの名前はショウタロウです🐶」

『なんか複雑っす(笑)』

「ショウタとショウタロウ、兄弟みたいだ😳」

『兄弟でそんな名前にしないでしょ(笑)』

「イヌ同盟結成だね🐶🐶」

『ですね!』


そんな、とりとめのないやりとりを繰り返す日々。

夏休みも後半に差し掛かってきたある日、結衣は思い切って翔太を遊びに誘います。


「今度の日曜日予定ある?」

『ないです!!!』

「はやっ!🤣どこか遊びに行かない?」

『いいっすね!他のお2人も一緒ですか?』

「うーん、今回は私ひとり」

「いやかな?」

『全然いいです!どこに行きますか?』

「そうだねぇ、ショウタロウくんが行ったことのないディズニーランドは?」

『翔太です!(笑)めっちゃ行きたいです!ぜひ行きましょう!!』


高校生活最後の試合は、予選2回戦敗退。

部活を引退した翔太の心には、ぽっかりと穴が空いています。

今まで野球しかしてこなかったので、卒業後の進路も決まらないまま。

昨日まで一緒に汗をかいてきた仲間たちは、いつの間にか進路を決めていて、置いてけぼりされた気分。

このままじゃいけないとは思っているけれど、うまく気持ちを切り替えられずにいます。

当然、受験勉強にも身が入りません。

そこに結衣からの連絡。

高校野球の地区予選の帰り、電車の中でたまたま出会った女子大生グループのひとり。

話をしたのは10分そこそこで、正直顔もはっきりと覚えてはいない。

高校生活最後の試合の帰り道。

キラキラと楽しそうだった3人が、自分とは別世界の人間のように感じたのを覚えています。

そんな中、なんとなく始まった結衣とのLINEのやりとり。

あまりSNSが好きではない翔太。

しかし、結衣とする文字の交換はなぜか心地よく、焦りだけが薄ぼこりのように積み重なる毎日に、束の間の安らぎを与えてくれます。

「ディズニーランドかぁ」

翔太はエアコンの効いた部屋のベッドで、天井を見ながらひとりつぶやきます。

机の上には訳もわからず取り寄せた大学のパンフレットが塔のように積み重なっています。

レースのカーテンの隙間から見える空は、解像度の高いCGのようなパキッとした青色。

暑すぎるせいか、外の世界からは時々通る車のエンジン音以外、ほとんど何も聞こえてきません。

両親は仕事、3つ年上の姉は昨日から大学の友達と旅行中。

しんとした家の中で、エアコンの送風音だけが小さな音を立てています。(それまでエアコンから音がするなんて翔太は知りませんでした)

枕元の目覚まし時計をみると午後2時過ぎ。

一日のなかで少しずつ不安が募り始める時間帯。

その不安はまるで小鳥たちが‥

<<<妄想おわり>>>


いやいやいや、だいぶ遠くまで行ってしまいました。

たぶん、移動時間が好きな人というのは、とりとめのない(無駄な)ことを延々と考えるのが好きな人。

家の中でぼーっとするのもよいけれど、移動中のほうが頭をからっぽにできるような気がします。

青春18きっぷを買って

なるべく遠くまで行って

適当なシティホテルを予約して

ぶらぶら散歩して

銭湯に行って

近場の居酒屋で飲んで

次の日帰る。

みたいなことを、一度はやってみたいな。

自分には、このぐらいの自由がちょうどよい。

ということで、私も好きです。

移動時間。

ではでは。

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