【本】『バリ山行』|私たちが街で生き抜くためには「本物の危機」が必要なのか

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第171回芥川賞受賞作品。

転職して2年の波多が、会社から浮いた存在である妻鹿(メガ)にバリ山行に連れて行ってもらう、という内容の山岳小説。


まずタイトルの意味がわからない。

「バリ」とは?バリ島とは関係あるのか?

そして「山行」もよくわからない。

おそらく山に登ることなのだろうけど、「登山」に比べて修行っぽいイメージです。

作中の説明によるとバリとは「バリエーションルート」の略称。

整備された登山道を外れて、ひたすら山をつきすすむ山登りを指すようです。

バリがどれだけ知名度があるのか、気になったのでネットで検索してみました。

「バリ山行」で調べると芥川賞受賞の情報ばかりでてくるので「バリエーション 登山」で検索。

すると、その手のサイトがたくさん出てきます。

掲載されている写真をみると、どれもすごい。(そもそも誰が写真を撮っているのだろう)

大きなリュックを背負って、ロープ一本で崖を登っている写真がいくつも掲載されています。

見るだけで、心臓がキュッとなる写真が満載。

普通の登山では満足できなくなった人が行く次のステージ、という感じです。


物語に登場する妻鹿さんも、かなり危険なバリをしています。

断崖絶壁をロープで降りたり、背丈を越える藪の中(虫とか蛇とか動物とか大丈夫なのか?)をひたすら進んだり。

そして、バリについてきた波多に対して「これこそ本物の危機だ」と嬉しそうに語るのです。

一方、その言葉を聞いた波多はブチギレてしまいます。

「山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか!」と。

まぁ当然ですよね。

気持ちはわかる。

でも、妻鹿さんの気持ちもなんとなくわかる気がします。

妻鹿さんと波多は会社の経営方針転換のため、解雇される可能性がある立場。

そんな不安を吹き飛ばすために、妻鹿さんは山に登り本物の危機を体験する。

「命の危機に比べれば、会社のできごとなんて大したことではない」と本能で体験するためです。


以前、穂村弘の本で「もし毎日が同じことの繰り返しで退屈だと思うのならば、拳銃に1発だけ弾丸を込めて、自分の頭に当てて引き金を引くと良い。もし、それであなたが生きていたのならば、人生は再びキラキラとした輝きを取り戻すだろう」というような意味の言葉があったと記憶しています。

妻鹿さんはおそらく、同様の行為をしているのでしょう。

人はずっと同じ環境にいると「居場所はここしかない」と視野が狭くなってしまいがちです。

「この場所を離れたら生きていけない」と。

そのような気持ちをリセットするために、定期的な心のメンテナンスのために、妻鹿さんはバリをするのだと思います。

それにしても、

生きている実感を得るために、わざわざ自ら死の淵を覗きに行かなければならないなんて、皮肉な話です。

うっかり本当に死んでしまうかもしれないのに。

もしかしたら、妻鹿さんは少し心が病んでいるのかもしれません。

どうしようもない不安に苛まされて劇薬に手を出してしまった、みたいな。

普段はおとなしめの妻鹿さんが、バリではテンションが上がって饒舌になるのも、何かに取り憑かれたようで軽くホラーな感じだし。

会社のいざこざで視野狭窄に陥っている波多と、バリでしか生きている実感がもてない妻鹿さん。

根底にあるのは「先行きの見えない未来に対する不安」。

なんだか生きづらい世の中だなぁ、とつくづく感じます。


物語の後半、

波多はあんなにブチギレしていたにも関わらず、ひとりでバリをするようになります。

そして、だんだんと会社への執着も薄まっていく。

これをどう捉えるか。

「会社より大切なものに気づけてよかったね」と思うか。

私としては「そっち側に行っちゃあかん!」と思うのですが‥

「バリは危険だからけしからん」と言うつもりはありません。

むしろ私自身も、幼い頃に憧れた冒険みたいで惹かれる気持ちはあります。

ただ「本物の危機を感じることでしか、生きている実感が持てない」のが、なにか危うい気がするのです。

普通の登山やボルダリングで、なんとかならないのだろうか。

ならないんだろうなぁ‥

命は大切に。

ではでは。

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